私たちについて
横山食品の理念
横山食品の歩み
家族を守るための母の決断
横山食品は、戦後すぐの昭和24年。
三重県津市で横山かね子が創業。
きっかけは、夫・徳一の怪我。
子どもが幼いこともあり、家の中でできて、毎日収入が得られる仕事をと、豆腐屋を始めました。
4人の娘を育てながら、新事業を立ち上げたのです。
学校卒業後、長女の教子も家業に加わりました。
一生の仕事を持ちなさい
豆腐屋は、遅くとも朝4時には起きて仕事を始めます。
まず、水で戻しておいた大豆を大きな釜で煮て、臼で擦って「呉(ご)」をつくります。
次に、布袋で濾して、豆乳をつくります。
それにすまし粉(豆腐を固めるもの)を加えて、型に入れて豆腐をつくるのです。
毎日150丁ほどつくりました。豆腐が売れないと、薄く切って大鍋で揚げて、揚げにするほか、がんもどきにしました。他にも、道具を洗ったり、配達をしたり。
仕事は山のようにあります。
小さな町の豆腐屋の母娘が一家を支えていくだけの収入をあげるためには、
人の何倍も何倍も働かなければいけなかったであろうことは想像に難くありません。
でも、教子は言います。「やりたいことをやってきたから、幸せ」と。
働き者の女性たちが支えてきた横山家には、
今でも、「一生の仕事を持ちなさい」という家訓があります。
男の人とは心中できないけれど、
揚げとなら心中できる。
かね子も、教子も休みなくよく働きました。かね子は、寝ないで働いては、ときどき倒れることもありました。
「いかにたくさんの人にいい商品を提供できるか」を必死で考え続け、「お客様が必要とするものをいつでも提供できるようにする」という熱心な仕事ぶりでお客様からの信頼を得ていきます。どこにも負けない高品質な製品をつくっているという強い自負を持って挑み続けることで、小さな町の豆腐屋は、がんもどきの流通量日本一になりました。 「男の人とは心中できないけれど、揚げとなら心中できる」。 揚げたての揚げのように、教子の想いは熱かった。
豆腐から豆乳へ、舵をきる
2018年豆腐の生産を終了し、豆乳の生産を開始。横山食品は創業以来、本当においしいと思うお豆腐・生豆腐(熱をかけて殺菌を行わない)を生産してきましたが、生豆腐は賞味期限が3日と短いためごく近隣地域にしか出荷できず、販売期間も非常に短いことから時流の流れに沿わないと判断し、生産終了を決断。そして新たに、豆腐屋の製法でつくり、自分たちが納得できる豆乳の生産を開始しました。横山食品の製造する製品はすべて豆乳から始まります。
長年培ってきた大豆に関する知識、豆乳を製造する技術のすべてが私たちの豆乳に詰まっています。
大豆は、もっと忙しくなる
植物性たんぱく質に注目が集まる今、大豆の可能性をさらに発見していくことが横山食品の使命です。
新たな大豆加工製品の開発はもちろん、使い勝手がよく、栄養たっぷりのおいしい商品を、現代の食習慣に合わせて開発を進めていきます。
安心安全の取り組み
株式会社横山食品安濃工場は、大豆加工食品である油揚げ及び厚揚げ、がんもどきの製造において、またあのつ台工場は豆乳の製造において、食品安全マネジメントの国際規格である「FSSC22000※」(Food Safety System Certification 22000)の認証を取得しました。
食の安全という至上の責任のもと、全部門が一丸となり、チームで取り組んでいきます。これからも安全・安心な商品の製造に努めることによって、お客様の信頼に応えていきます。
※FSSC22000 は、GFSI(Global Food Safety Initiative 国際食品安全イニシアチブ)により承認された食品安全認証スキームのひとつであり、食品安全マネジメントシステムの国際規格であるISO22000 に TS22002-1 という食品衛生管理基準を追加したものです。